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2011年3月19日 (土)

仙台に到着

たくさんのコメント、ありがとうございます。
ひとつひとつの言葉に心がこもっていて、とてもうれしくなります。
ひとつひとつ返信したいところですが、
この地震の件に関しては、まとめてお礼を申し上げますね。

現在、僕は仙台の実家です。

Img_0688
昨日の午前、新宿発の長距離バスに乗り、仙台へ向かいました。
目的は、食料などの物資を運び入れることと、なによりも親の顔を見ることです。

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いつもは山に行くときの相棒が、今回も出動。
まさか被災した出身地に入るときに使うとは、思ってもみませんでした。
もっとデカいバックパックに、もっとたくさんのモノを入れようか迷いましたが、
他の人たちの荷物も物資満載で大きいとバスに乗りきらないのではないかと考え、
これくらいなら迷惑にならない程度の大きさなのではないかと判断。
その代わり、中身のほとんどが食料で、デカいほうの重さがおそらく40キロ、
小さいほうが10キロくらいになっています。容量は、合わせて100リットル。
ギチギチにパッキングしているので
山に行くときと見た目はあまり変わらないけど、やはり食料は重いですね。
「今回は、いつも以上に頼みよ」という気持ちで、背負いました。

しかし、バスに意外と大きな荷物を運び込む人は少なく、
もっとデカいバックパックでも大丈夫そうでした。
とはいえ、これ以上の重さを運ぶのは、人力ではさすがに大変、。
まわりでは、「親戚の○○○とまだ連絡がとれない」とか
「○○○さんのところは2人亡くなった」などという話をしている人もおりました。
おそらく海岸付近に住んでいた人なのでしょう。

出発前のバスのなか、車掌さんが運転手さんにむかって何気なく話した、
「クルマ動かすときは、一言いってけろ」に、ちょっとしんみり。
なぜかといえば、「けろ」っていうのは「くれ」という意味の仙台弁。
周りの人からもさまざまな方言が聞こえ、
新宿にいるはずなのに、バスのなかは仙台でした。

今回乗ったJRバスは緊急車両扱いとのことで、
現在は一般車両は通行止めになっている東北自動車道を使うことができました。
アスファルトに段差や波打ちがあるので、最高速度は50キロ程度。
クルマが少ないので、非常に静かでした。
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普通車もいくらか走っていましたが、やはり目立つのが物資を輸送するトラック、
タンクローリー、真っ赤な消防系の車両、そしてカーキ色の自衛隊。
近くに座っていたおばさんは、自衛隊や消防の車両が走っていると、
小声で「頑張ってね」と何度も繰り返していました。

SAやPAもこぢんまりと開放されておりました。
しかし、駐車場はこのように閑散としたもの。
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途中では飲み物や食べ物を買えないかもと、乗車前に説明を受けていましたが、
最低限のものは売っています。
道路の状態はやはり福島あたりから悪くなり、補修中の箇所ばかり。
工事を担当している作業員のみなさんといい、
物資の輸送や災害救助に向かっている人といい、
この高速道路で見かける人たちには、頭が下がる思いです。

ところで、感心したのは、車内での携帯電話の扱い。
緊急時ということで、仙台に近づくと車内での携帯電話の使用がOKとなり、
多くの人が身内に電話をかけて、到着時間などを知らせることができました。

7時間半ほどで、仙台に到着。
下は長距離バスが発着する仙台駅東口、
繁華街とは反対側にあたる、いわゆる駅裏です。
Img_0703
仙台中心部は電気の復旧が早かったので、
一見、いつもとあまり変わらないように見えます。
しかし、実際は開いている店はほとんどなく、オフィスの照明も限定的。
やはりよく考えると、平時の3割程度の明るさでしょう。
できるだけ電気を使わないように、ひっそりとしています。
ガソリンを使うクルマはやはりあまり走っておらず、
その代わりにLPガスで走るタクシーだけは、いつも以上に目立ちました。

荷物の重さが重さなので、貴重なガソリンを使って、
弟に迎えに来てもらい、実家へ。
僕の顔を見ると、母は涙ぐんでおりました。
そして、恥ずかしながら、何度かハグ。
父はとにかく乳製品を欲していたようで、
僕が持っていったスキムミルクを水にとかし、
さらにそこにコンデンスミルクを溶かしこんで飲みほしていました。
普通の牛乳を持っていくことができれば、もっとよかったんだけど。

実家は片付けもおわり、なんとか水も復旧したようで、
空気交じりでへんな破裂音を出しながらも、
飲み水は蛇口から流れるようになっていました。
電気も問題ないので、昨年からオール電化の家になっていた実家は、
とりあえずはいつもの姿に。
テレビもインターネットもOKで、ちょっと拍子抜けするほど。

ただ、話を聞いていると、無事だとは聞いていた親戚は
実際はかなり危なかったようであり、
昨年、父とともに野田知祐さんを案内した旧北上川の農家は全壊。
かつて馬を飼っていた小屋に、今は寝泊まりしているという状況に。
しかも現在の主人は、ちょうど所用で石巻という街に出かけていたときに
地震に遭遇し、軽トラックを捨て、高台に走って避難したところに波が押し寄せ、
目の前でクルマは流されてしまったそうです。
この農家は、もしかしたら父が継ぐ可能性があったらしいほど
父方の直系のルーツである親戚なんです。
僕の名前の庄太郎の「庄」の字は、この家系の長男に付けられる漢字で、
祖父、もしくは父がこの農家を継いでいたら、
僕がそこで農業をしていた可能性もあった、などと想像することもあります。
実際は農業を嫌がった祖父の代に仙台に出てしまっているので
今は祖父の弟の血筋が継いでいるのですが。
ともあれ、高橋家先祖代々の墓を守っていてもらっている家でもあり、
家は壊れても、なんとか生き延びることができて、本当によかった。

さて、今回実家に帰って意外だったのは、
僕が帰省するたびになぜか毎回吠えたててくる
パグ犬のモモが、珍しく甘えて寄ってきたこと。
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今回、病弱なこいつのために、仙台では入手困難になった
薬剤入りの特殊な缶詰を、東京のペット病院で分けてもらってきました。
それを運んできた僕の努力をわかってくれたのかもしれません。

というのが、昨日のこと。
今日のことも、このまま書いてしまおうかと思いましたが、
若干疲れている気がするので、あとにしようと思います。

あ、また余震だ。

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コメント

とにかく、
無事到着されてよかったです。

長旅お疲れ様でした。

投稿: まー | 2011年3月20日 (日) 00時46分

お疲れ様

今日はとってもきれいな月が出てるね。
仙台でも見れるかな。

避難所の人達にもこの月明かりが届きますように。

投稿: mon | 2011年3月20日 (日) 01時29分

お疲れ様でした。

ご家族無事で何よりです。


復興し、あの美しい仙台に戻れるよう

祈念しています。

投稿: sakae2106 | 2011年3月20日 (日) 05時16分

無事到着、なによりです。
家族の顔に一安心ですね。

投稿: テツ | 2011年3月20日 (日) 15時17分

はじめまして、ニュージーランド北島在住、時々主人と読ませて頂いておりました。。
最近迄1ヶ月間南島をトランピング旅行、
mt cookでキャンプ中、仙台の親と友人から携帯に電話が入りクライストチャーチの地震を知らされました。。前日迄3日間滞在した街が、とかなり信じられませんでした。。
そして先週、旅行を終え家に戻って知った日本の地震。
映像を見ても映画のようで、それが地元仙台、東北で起きていると言う実感が全く湧かず、クライストチャーチ地震の時に電話をくれた家族友人と誰一人連絡が取れない日々は悪い夢の中にいるようでした。
2日前に仙台市内の家族、沿岸地域の親戚友人全員の無事がわかる迄、インターネットでやパーソンファインダー、避難者名簿を1日に何度も検索しました。
そして家族や友人に近くで少しでも手伝いが出来れば、と思い帰国を決めました。
正直、”逆に被災地の人に迷惑がかかるので行かない方が”、とよく目にするので物凄く悩んだのですが、少なくても2年会っていない歳をとった母の手助けは出来るのでは、と考えました。
成田方面は停電や手に入らない物があるようなので、関空経由で帰国し必要な物を買い、バスで大阪ー東京ー仙台に帰ろうと思います。
放射能、物流も少しずつ良くなってきているようですが、被災地のみんなは私の想像を超えた苦労があるはず。。
でもそんな不自由な生活をしていても、誰も文句は言いませんでした、
生き残っただけで十分だ、と言っていました。
私は宮城、仙台は世界一素敵な所だと思います!
そしてそこに住む人達も、素敵で優しくて強いです!

投稿: 仙台っこ | 2011年3月20日 (日) 16時02分

大きな被害を受けた地域を見てきてくださりありがとうございます。
震災から2週間がたとうとしています。
燃料不足、お店の大行列は未だ続いていますが、確実に日常が戻ってきていると
仙台市中心部に住んでいると感じます。

ライフラインがガスを除き復旧し、恵まれた生活環境になっているにもかかわらず
まだ現実が見れない自分がいます。

ニュースも震災直後より今のほうが見る事ができなくなってしまいました。
毎朝新聞を読んでは過剰に反応してしまいます。

私を含め周囲は今感情の起伏が激しくなっているようです。
常に頑張らなきゃと知らず知らずに力が入ってしまっています。
そんな中、庄太郎さんの文章はとても優しかった。

今回の震災で、自分にとって必要なものが分かりました。
以前より強くなった。と思っていましたが、まだまだみたいです。

何度も文章を読み返しています。
仙台に来てくださり本当にありがとうございました。
泉ヶ岳に蔵王、夏には登れるかなぁって思っています。

投稿: ムク | 2011年3月24日 (木) 11時20分

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