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2011年3月13日 (日)

僕の出身地の大地震

ご存知のように、僕の出身地の宮城県沖に震源地がある大地震が発生しました。
あの地域は以前から大地震が想定されていた場所なので、
地震が起きたこと自体には驚きません。
だけど、まさかあの規模で起こるとは。
あんなにたくさんの人が死んでしまうなんて。

かつて、伊達政宗は外洋からの荒波から船を守り、
米などの物資を安全に運べるようにと、
現在の宮城県にどちらも河口がある
北上川から阿武隈川まで貞山堀という日本最長の運河を掘りました。
さらに今は長々と防風林や防潮堤も作られていたのに、
今回のような未曾有の津波にはひとたまりもなく、ぜんぶ飲み込まれてしまいました。
僕が子どものころは自転車で、大人になってからは自動車で走った海岸の道は
たくさんの命とともに、まったくなくなってしまいました。

仕事先から16キロ歩いて自宅まで帰った当日は、
妙な興奮からか現実味がなかったのですが、
テレビなどで情報を得るうちに、当日よりも昨日、昨日よりも今日、
僕の心理的なダメージも大きくなっていっています。
もうなにもやる気がしません。
楽しい記憶が残っている場所が、ぜんぶ破滅してしまって。
たくさんの友人・知人から連絡をもらいましたが、返信する気力もありませんでした。

メールのやりとりで、僕の仙台の家族の無事は確認していたものの、
先ほどやっと弟と直接電話で話すことができて、少しだけ気分がましになり、
気持ちの整理をするために、ブログをアップしてみています。

僕の実家は昨年建て直したばかりだったので、とくに大きな問題はなく、
それ以前に、実家があるあたりは地盤がよかったからか、
周囲にもあまり大きな被害はなかったようです。
近い親戚は無事ですが、遠い親戚は津波が押し寄せた海沿いにも
住んでいたはずで、もうどうなっているかわかりません。友人、知人も。
僕が幼いころ初めて泳いだ荒浜の海水浴場近くには
2~300人の溺死体が打ち上げられているそうですし、
よく釣りをしに行っていた名取川河口の閖上も津波でやられて、見る影もありません。
あそこにはうまい寿司屋も多かったのだけど、
もう誰も食いにいくことができないのです。

いまだに1万人近くの人の安否がわからない南三陸町の志津川にも
一家でよく出かけていて、お正月を当地の旅館で向かえる年もよくありました。
気仙沼では海に落ちておぼれかけたこともあり、
松島ではとれたてのカキを焼いて食い、食いすぎで腹を壊したり、
お正月用のハゼ(仙台の雑煮のダシはハゼでとるんです)を
船に乗って釣りに行ったり、お盆の花火大会を見に行ったり。
仙台空港が開港したときは、その第一便にのって香港に旅行したこともありました。
そんな場所があとかたなく壊滅してしまいました。

2002年に僕が会社を辞めて旅に出たとき、
スーパーカブでゆったりと走り、最初に向かったのは北海道。
茨城、福島、地元の宮城の海岸を経由して、岩手、青森と北上していきました。
あまり写真は撮っていなかったのだけど、さきほどそのときの写真を見ていたら、
そのころの平和そうな様子に、ますます気分が重くなりました。
でも、被災した場所がどういう場所だったのか、知ってほしいと思います。

1
福島県の相馬。右が海で、左が松川浦。
2
あのときの海は、こんなに静かできれいだったのに。

3
原発のある町としてしられる宮城県の女川。 4 9
この海では、おいしい魚がたくさん獲れました。

170
津波とともに、ものすごい火事が起こった宮城県最北部・気仙沼。
5
あのときは夏の祭りを行っていて、みんな楽しそうでした。

三陸の海岸は、ほんとうにきれいなんですよ。7
だけど、こんな切り立った地形のなかのわずかな入り江に作った街は、
津波に対してはひとたまりもないんです。

このときの旅のあいだも、さまざまな町のおじさん、おばさんと、
「今年の高校野球、宮城県はどうだろうね」なんて話していたのに。

ここ数日のうちに、雪山取材や座談会などの仕事を予定していましたが、
家族の無事を知った時点では、ちょっと安心して
「やれるかも」と思ったのに、
今になると、やっぱりとてもできるような気分ではなく、
すべて中止にしてもらってよかったと思っています。
だけど、原稿の締め切りだけはどうにもならず、
なんとか書かねばならないのが辛いところです。
被災した人たちに比べれば、取るに足らない、くだらない辛さ。
しかし、こう重い気持ちで、どうすればいいのか。

すでに知人がバイクで被災地に入ったのですが、
ガソリンすら補給できなくて、身動きもままならぬようです。
僕もなにかしたいような気もするけど、
あまりに身近なことすぎて、今はなにがなんだがよくわかりません。

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コメント

高橋庄太郎さんへ


電気の節約をします。

暖かい衣類も被災地に送りたいと思っています。


あとは祈ることぐらいしかできないけど、今できることをします。

私の周りの人たちも同じ気持ちです。


阪神・淡路大震災があった時、私は大人じゃなかったけど、たくさんの支援・応援があったから今の景色があるんだと思っています。

※返信不要

投稿: 一般的なOL | 2011年3月13日 (日) 21時48分

高橋さん

初めてメッセージを差し上げます。
本当に、心からお見舞いを申し上げます。

ここ数日のTVの映像が本当なのか。
今回のブログ上の写真の場所は、行ってみたい旅先の景色でした。

わたしの周囲は無事でしたが。だれかのお父さん、お母さん、ご兄弟、友人。

また間一髪で助かった方、助かることができなかった方。

言葉もありません。

高橋さんがそういうお気持ちにあることは、
本当によくわかります。

いま抱えていらっしゃる仕事をとりあえずは納品して、
お気持ちを整えることができるといいですね。

高橋さんのファンです。
ずっとブログを読んでいました。
最初のメッセージがこんな内容になるとは思いませんでしたが。


だいじょうぶ。
これからです。

投稿: アッチ | 2011年3月13日 (日) 23時52分

ぼくにできることがあれば、なんなりと。
がんばりましょう。

投稿: 森山伸也 | 2011年3月14日 (月) 11時24分

私の故郷も十数年前に、地震と水害に合いました。幸い、私の家族は無事でしたが

生まれ育った故郷の変わり果てた姿とは、
家族や友人、
近所のおじさんおばさん、幼なじみを
亡くしたと同じくらい、辛く悲しいものです。

庄太郎さんの文章を読んでいると故郷への愛情が伝わってきます。
私達も同じ思いです。
返信はいらないです。
どうか、故郷の素晴らしいところを話して下さい。

私達は、この素晴らしい故郷を思い、祈ります。
この素晴らしい故郷を守り育ててきた方達を、どうか助けて下さい。

投稿: aiko | 2011年3月14日 (月) 15時06分

ご無沙汰してます。

僕も東北出身なので、なかなか家族の安否が確認できず、焦りと不安な気持ちでした。
なんとか、青森の実家、岩手にいる弟、南相馬市に住んでる親戚の安否確認ができて安心しました。

ただ未だに1万人以上の方が安否不明ですが、少しでも多くの方が助かる事を願うばかりです。

本当に言葉にならないです。

とりあえず今自分に少しでも出来る事を考えて、少しでも被災者の方にお役に立てるよう、節電、募金など出来る限りの事をしたいと思います!

みんなで助けあいましょう!!

投稿: カミナリおやじ | 2011年3月14日 (月) 15時42分

高橋庄太郎さま

たいした事はできないけれど、私は私のできることをします。

高橋さんは高橋さんができることをしてください。

今はじっと堪えましょう。進みましょう。世界は一つです。

※お返事無しで構いません。

投稿: tengu_brand | 2011年3月14日 (月) 16時23分

庄太郎先輩、文章から深い哀しみが伝わってきます。
人も景色も素晴らしいあの場所が永遠に失われたなんて…
アッチさんと同じく、ずっとブログを読んできて、初めてのコメントがこのタイミングでこの内容とは、本当にせつないです…。

投稿: j | 2011年3月14日 (月) 23時57分

はじめまして。
「トレッキング実践学」を拝読して以来、ファンとなりました。今日初めてネットで検索しブログを見つけたところこのようなことに・・・。
心中お察しします。
今後もこれまで同様、応援していきます。

投稿: sakae2106 | 2011年3月15日 (火) 08時14分

私も新潟の十日町市に住んでいましたので(実際今も家はありますし)少しはそのお気持ちもわかりますが 桁違いの状況のようですね。文章からのみでも心中お察しします。たしか宮城の出身だったはずと ただ気になったもので。
早くその深い傷が癒される日を待っております。

投稿: まつぼん | 2011年3月15日 (火) 13時27分

こんにちは。

災害当日、友人に誘われ高尾山に行っていた自分は、帰りの電車内、神田で被災しました。

会社員の方たちのスーツ集団に紛れて、一人だけザック・マウンテンブーツ姿の自分は、船橋まで8時間かけて歩いた後、別の友人の助けを借りバイクで千葉まで、自宅の旭市まで辿り着いたのは2時を回っていました…

東北の方々とは比べ物になりませんが、旭市も海岸沿いはかなりの被害を受けていました。知り合いが亡くなりました。


停電、断水については大分回復しましたが、液状化現象により傾いた家があったり、地割れを起こしている道があります。

自分の身に起こって初めてわかる災害の恐ろしさ…これが現実だと思うと悲しさが込み上げます。

今自分たちになにができるのか……頭の悪い自分には募金・節電くらいしか思い浮かばないのですが、他の被災地の方々のために一生懸命取り組もうと思います。


高橋さんの心中お察しします。気を確かに持って一緒にがんばりましょう。僕らが諦めてはいけないのです。

投稿: タケちゃん | 2011年3月15日 (火) 14時28分

高橋庄太郎様

ご無沙汰しております。心中お察しします。
宮城県は大変な被害で同じ東北人として心が痛む毎日を過ごしています。
私の住む青森でも停電があり、地震翌日の夕方に復旧しました。
友達が気仙沼と釜石にいるのですが、いまだに連絡がとれません。刻々と過ぎていく時間が苦しいです。

気をしっかり持つことがこんなにも難しいことだとは思いませんでした。

庄太郎さんの傷が癒える日が一日でも早く来ること、また被災地が一日も早く復興することを祈っています。

投稿: まいち | 2011年3月15日 (火) 15時16分

庄太郎さんのファンです。

あの大地震が起こって、様々なニュースがテレビから溢れていて、それにも関わらず、私は今日、庄太郎さんのブログを読んで初めて泣きました。

関東に住んでいて、東北にあまり縁のない私にとっては、
これが実際に起こってる事なのか理解出来ませんでした…

何百もの水死体?同じ日本で?

いくらニュースで繰返し叫ばれても、こんな惨劇を経験した事のない私はまるで理解出来なかったのです。

今日、庄太郎さんの思い出のたくさんつまった文面、写真を見て言葉で説明できない感情が込み上げてきました。

どんな悲惨な写真を見るより、穏やかな海岸線や変わることのないはずであった風景に胸がえぐられる思いでした。

被災していない私は、私に出来る事を最大限にします。

庄太郎さんの記事で、私はそう思ったのです。

投稿: nalu | 2011年3月16日 (水) 14時41分

悲しい、やるせない気持ちを癒してくれるのは、やはり時間なのだと感じています。
しばらくしたらトンネルの先でお会いしましょう。
またいろいろ教えてください!

投稿: ドロタニ | 2011年3月16日 (水) 22時54分

庄太郎さん、沈黙してはいけません!

現地を知っている庄太郎さんだからこそ訴えられる事があるはずです。

庄太郎さんの影響力って大きいんですよ!

例えばPEAKSの紙面で募金を呼びかけたりする事だって、庄太郎さんだからこそできる行動だと思います。

今は被災地域の役に立てる事を国民一人一人が自ら考え、行動する事が求められていると思います。

投稿: ROCK MAN | 2011年3月16日 (水) 23時14分

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