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2011年4月 6日 (水)

石巻の現状

石巻へ行ってきたことのご報告です。
帰宅してから少し時間を空けたことで、気持ちも落ちつきました。

さて、宮城県で2番目に大きい港町・石巻、
やはり被害は尋常ではありませんでした。

下の写真は、この街の近くで生まれ育ったマンガ家・石ノ森章太郎の「萬画館」です。
旧北上川河口の中洲にあり、他の建造物がほとんど流されているなか、
近未来的な建物が奇跡的に残っておりました。
仮面ライダー、ゴレンジャー、ロボコン、サイボーグ007など、
日本のSF系漫画のさきがけにして大家、郷土の誇りなのです。
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この建物のなかに逃げ込んで、津波から生き延びた人もいらっしゃったようです。

石巻専修大学のグラウンドを利用した、ボランティア村。
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僕たちもここにテントを張りました。

倉庫には、全国からの救援物資がいっぱい。
このあともドンドン到着し、整理しきれないほどの量に。
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現在は東京に住んでいるとはいえ、宮城県生まれの僕としては、
全国からの物資が自分にも届けられているような気分になり、ありがたい限りです。
クルマのナンバーを見ていても、鹿児島、愛媛、和歌山、北海道、大分、新潟‥‥。
あらゆるところから支援の人が入っていました。
全国から駆けつけてくれたことに感謝し、ちょっとジーンとしてしまうほど。

ところで、今回いっしょに行ったメンバーのなかには
滋賀県で整体師の仕事をしている人がおり、
彼はこの下の写真の避難所となっている湊小学校で、
整体のボランティアを行いました。
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「きてくれてありがとう」と感謝され、やりがいはとてもあったようです。
ただ方言となまりで話していることがときどきわからなかったようで、
だいたいは理解できる僕が通訳できれば、もっとよかったのですが。

この湊小学校はグラウンドこそ片付いているものの、周囲にはガレキが積み重なり、
校舎の窓から見える裏の墓地はこんなありさま。
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この風景を見ながら避難所生活を行っている人がいると思うと、心が痛みます。
ちなみに、アウトドア的なウンチクを言えば、
この小学校は新田次郎の実話をもとにした小説『アラスカ物語』の主人公、
フランク安田の母校でもあります。生存をかけてイヌイットを引きつれ、
アラスカの荒野に新しい村を作り上げた「ジャパニーズ・モーゼ」ですね。

僕の母方の祖母も、たしかこの街で育っているはず。
学校があるたびに「これがばあちゃんの母校かもしれないな」などと考えてしまいます。
しかし、下の写真の門脇小学校は津波を受けたうえに火災も生じたようで
こんな状態になってしまっていました。
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できるだけ多くの子どもが助かっていますように。

称法寺は本殿以外は原型をとどめていません。
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やっと訪れたという檀家の人が途方に暮れていました。

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壊滅的な被害で見渡す限りガレキの荒野となった南浜町。

僕の親戚の家は石巻といってもかなり内陸にあるのですが、家屋は全壊。
地震があったときにはこの街に来ていたので、
クルマはどこかに流されてしまいました。
だけど、こういう状況をみると、クルマなんて探そうにも探せるわけがありません。

そういえば、宮城県では津波によってクルマが15万台も廃車および行方不明になり、
これは宮城県に登録されている車両台数の10パーセントにあたります。
耕作地も同じく県内の10パーセントが海水の下に沈んだ計算になるそうです。
宮城県だけでこの数字なのですから、他の県も含めれば、いったいどうなることなのか。
これからの復旧には、やはり多大なお金と時間がかかります。

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ショベルカーが撤去作業を始めていますが、手が入っているのはごくわずか。
自衛隊が作業を見守っているのは、遺体発見に備えてのことだと思われます。

周囲には津波で流されたさまざまなものが散乱しています。
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この冊子を持っていた人は、きっと山好きだったのでしょう。
生き延びていて、再び「立山黒部」に行ける日がくることを祈ります。

年配の方が多い街だったのか、レコードもたくさん落ちていました。
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これは中村雅俊のもの。石巻の北にある女川町出身で、母校は県立石巻高校。
郷土の誇りとして、きっと繰り返し、愛聴していたのでしょう。

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津波に押し流されないまでも、水圧がかかった家々は、隙間なく密集しさせられ、
その間にありえない状態でクルマが挟まっています。

南光町という場所には、日本製紙の工場があります。
散乱している白いロールは、雑誌用の上質紙。
日本の雑誌/書籍に使われる紙のかなりの分量は、
この日本製紙・石巻工場を含む東北の被災地にあった工場で作られているんです。
出版業に携わるライターとしては、呆然とならざるを得ない光景としかいえません。
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通りがかった地元のおじさんがいうには、
これらのロールは貨物列車に乗せるため、倉庫に保管されていたもので、
津波によって倉庫が破壊され、弾き出されるように散乱したとのこと。
ただ、工場は大破したものの、「世界でここにしかない」という超高性能マシンが
なんとか生き残ったこともあり、いずれ工場は絶対再開させると
日本製紙の社長さんが断言してくれたのが、うれしかったそうです。
早く復活してもらえることを、出版業界も期待しているはずです。

ホーボージュンさんと僕が加わったのは、湊中学校の講堂の泥掻き。
当初、遺体が出てくるかもという話があり、若干重い決意で現場へ。
ジュンさんは阪神淡路大震災のときに、現地で数ヶ月も活動した経験があり、
いつのまにかリーダーとして現場を仕切っていました。
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普段はバカばっかり言っているどうしようもない人ですが、
いざというとき、こういう行動が取れるから、
周囲の人に尊敬され、頼られ、愛されているのです。
現場でのくだらない下ネタのギャグはみんなにスルーされていましたが、
ほんと、ジュンさんのリーダーシップには感心しました。
照れくさいので、本人には面と向かって伝えられませんが、
やっぱりジュンさんはスゴいよ。

僕たちの主だった泥掻きの場所は、講堂の倉庫で、
数十センチの泥が床を覆い、天井まで大量のゴミが付着していました。
泥の中には、剣道の防具や柔道着が埋もれ、
さらにサバなどの魚が丸ごといっしょに折り重なっている状況。
防具のなかにサバが入っている不思議な光景には一瞬笑っちゃうのですが、
その防具を使っていた生徒のことや、
水産加工に使うはずだったサバを獲ってきた漁師さんのことを考えると、
次の瞬間には寂しい気持ちになってしまいます。

ともあれ掃除を続けていくと、泥だらけの講堂が、まるで新築のようにピカピカに。
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右端にいるのは、トレイルランニング界のスーパースター、石川弘樹さん。
ひとりでレンタカーを運転して石巻に入ったそうで、
物資を寄贈したあと、泥掻きにも参加してくれました。
僕の故郷のために、みなさん、ありがとうございます。

僕たちの作業中も、この講堂では炊き出しが行われていました。
この次の日からは、泥掻きをした倉庫が食料庫になるはず。
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石巻の市街地には、種類を選ばなければ食べ物自体はあるのですが、
しかし「温かい」食べ物が不足しています。

別の炊き出しの場所では、連日同じ子どもたちにからまれました。
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学校は再開せず、親も生活を立て直すのに忙しく、
遊んでくれる人を探していたのでしょう。
地震の影響が心に暗いものを落とさず、元気に育ってくれるといいのだけど。

しかし、ゴミを投げてくるのは反則だぞ。
僕のあだ名が「コンブ」にされたのもよくわかりません。
まあ、かわいかったので許しましょう。

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コメント

高橋 庄太郎様

お疲れさまでした。
写真をみるたびに津波の恐ろしさを痛感します。
実際現地に行ってみるとなおさら感じることでしょうね。
こどもの笑顔の写真になんだか救われる思いします。

投稿: まいち | 2011年4月 6日 (水) 12時23分

こんにちわ、さっそく読ませて頂きました。
子供達の姿と「コンブ」にホッとしますが、これから成長していく子供達の心の中が心配になりますね。

それにしても現場の状況は凄まじいですね。私は自分の衣食住の始末も出来ないのでお手伝いに行けそうもありません。でもこの震災が起こって以来 ホントはこの目で見なくてはいけないのではないかと感じていました。
ブログを拝見する事が出来て本当に良かったと思っています。
ホ-ボ-ジュンさんも凄い方なんですね、私は自分の行動力のなさにガッカリするばかりですが、自分なりに自分の生活を守り自分のできる範囲で、塵も積もればの塵でい続けようと思います。

トレッキング実践学を参考に 道具を少しずつ集め 山を楽しむ事も続けるつもりです。ブログ上ではありますが、高橋庄太郎さんという 誌面でしかお会い出来ないライタ-の方の仕事ではない言葉を読み、こうして直接メッセージを送り、読んで頂ける事をありがたく 光栄に感じます。

ブログを書いていて下さって ありがとうございますっ。
長くなりました、 ではまた まいります。

投稿: タテノ | 2011年4月 6日 (水) 15時01分

おつかれさまです。
遅ればせながら日曜日に石巻に入ります。
長い長い復興の道のりになると思いますので
今回は次につなげるための序の口とします。

投稿: 小原直史 | 2011年4月 8日 (金) 16時02分

高橋さま

本当に頭が下がる思いです。
私は大したことはできませんが、高橋さんやその他多くの皆さんが被災地に対して行っていることや、その内容を知ることで、自分にもできることを日々探し、実行していくことができております。

コンブ・・・これから高橋さんを見るたびに思い出しそうです。

投稿: tengu_brand | 2011年4月 8日 (金) 17時18分

まいち様

子どもはいいですよね。
実際は面倒くさいほどじゃれてくるのですが、
楽しそうにしている姿を見ると、ほっとします。
地震の恐怖が幼い心に残らないと、いいのだけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
タテノ様

現場に直接いかなくても、できることはいろいろありますよ。
僕の最近の口癖は
「多めに仕事して、多めに支援金にまわす」です。
アウトドア仕事も、これまで以上に頑張ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小原さま

石巻に行かれるんですか?
それならば、小さな集落もまわってやってください。
都市部も大変ですが、辺鄙な地域はもっと困っています。
とはいえ、自分の意思だけで動けるとは限りませんから、
もしもできれば。
テレビや新聞にあまり取り上げられない場所が
僕は気になっています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
tengu_brandさま

コンブ‥‥。
僕がそのとき全身黒い格好をしていたからなのでしょうが、
たぶん港町ではない場所で育った子なら、
こういうあだ名は思いつかないでしょうね。
アイツ、今日はなにをしていたのかな。

投稿: 庄太郎 | 2011年4月 9日 (土) 01時30分

夜行で移動の日曜日のみの実質的な日帰りでしたが
雄勝半島と北上川周辺をNGOのJENの人と回ってきました。
雄勝の想像をはるかに絶する津波被害ただただ呆然。
これから続く長い長い復興の道のりを想いました。
石巻はボランティアの方も週末にはボランティアバスなんかもあるので1000人くらいはいらっしゃってるみたいなんですが交通の便の悪いところはほとんど手つかずなので気がかりです。
避難所の大須小学校でちょうど孫くらいの歳の自衛官の人が優しくおばあさんの手を引いて自衛隊のお風呂に案内してる姿が印象に残ってます。なんだか涙が出ました。
また機会を作って足を運びます。
自分ができることは現地に行って見て知ることですから。


投稿: 小原直史 | 2011年4月11日 (月) 13時23分

小原さま

雄勝までいってこられたのですね。
しかも半島の先のほうまで。
アクセスしにくい場所なので、人も少ないだろうし、
現地の方はきっと喜んでくれたことでしょう。
僕も思い出がある場所なので、ありがたく感じます。

一度でも被災地のすさまじさを自分の目で見ると、
さらにいろいろなことを考えるかと思います。
引き続き、東北のことを忘れないでくださいね。

投稿: 庄太郎 | 2011年4月14日 (木) 22時12分

祖母は福島の浪江出身で親戚は疎開してます。
従兄弟の家族は郡山にいます。
陸前高田の新聞記者の親友は現地で
被災するも今も取材活動を続けてます。
まだまだ長い長い道のりです。
できることはたくさんあります。
やるしかないんですよね。
できることからコツコツと。


投稿: 小原直史 | 2011年4月15日 (金) 12時57分

小原さま

僕も福島や岩手の出身の知り合いが多いので、
宮城県以外も気になっています。
新聞記者の友達も大変でしょうが、
きっと被災者に役立つ情報を毎日集めているのでしょうね。
メディアは違うとはいえ、原稿を書く仕事を持つ者として、
頑張ってもらいたいと思います。

投稿: 庄太郎 | 2011年4月18日 (月) 13時12分

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