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2011年5月12日 (木)

東北の山/蔵王連峰~雁戸山~笹谷峠-1

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5月の連休は、仲間とともに僕の出身地である仙台へ。
僕の実家を拠点として、連休の前半は山を歩き、
後半は津波による被災地でのお手伝いとなりました。

連休前半はボランティアが余り気味、というか
行政側がさばききれない状態になっており、そのタイミングで山に行っておいて、
後半のボランティア不足になったときに、現場での手伝いに入るという作戦。
ともあれ、こういうときこそ、東北の山に登っておかないと。
とくに僕にとっては、地元の山なのだから。

歩いたのは、蔵王連峰~雁戸山~笹谷峠というコース。
奥羽山脈の主稜線であり、僕が高校山岳部のときに
よく歩いたなじみのルートでありました。
冒頭の写真は、蔵王の方角から見た雁戸山です。

この山行は仕事ではなくプライベートですが、『PEAKS』ではじめる
連続企画「東北の山々」の第1回に使うつもりですが、
このブログでも、何回かに分けて簡単に紹介してみます。
もちろん、雑誌上ではまったく別の文章にするつもり。
いずれそちらもご覧ください。

出発は、宮城蔵王側を通っている「蔵王エコーライン」の途中にある「賽の磧」。
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僕が高校の山岳部に入ったとき、蔵王で行われた第1回目の合宿にも
ここから入山したという、思い出の地であります。

「賽の磧」からの道は、高校時代、何度も何度も通り、
今でもなんとなく覚えている気がしていたのに、何度も道迷い。
中途半端に雪が残っていて、しかもヤブが激しかったからなのですが、
いきなり調子が狂ってしまいます。
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一部には雪がかぶっていたとはいえ、アスファルトまで敷かれた遊歩道。
なぜかこいつを発見できず、無駄に時間を費やしてしまいました。

展望台までやってくると、目に飛び込んできたのは、
「賽の磧」から200m下ほどに展開する、広い谷間。
右下のほうには、「東北大 左ェ門小屋」が。
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僕が山岳部に入って初めてテントを張ったのは、この小屋の前。
寒くてよく眠れなかったけど、顧問の先生には内緒で、
タイマツを作ってわけのわからない「祭り」をしたり、ガソリンを口から吹き出して、
火吹きの芸をしたりと、無茶をやった思い出の場所です。

こちらは、同じ展望台から見た蔵王連峰。
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予定では明日から、「ロバの耳」コース(中央右、斜めに延びる急な尾根)を使って
蔵王連峰を形成する2つの山、刈田岳と熊野岳のあいだに
登っていくはずだったのですが‥‥。

遠めにも雪の状態が悪いことは明白で、カメラのレンズで寄ってみると、
どこもかしこも、こんなありさま。いたるところ雪崩れが起きる寸前です。
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できるだけ雪の上を歩かず、岩の上を進むつもりではありましたが、
この「ロバの耳」コース、もとから崩れやすく、かなり危険ではあるのです。

ならば、高校のときに雪上訓練で何度か使った、
「ロバの耳」の奥にある「丸山沢」から登れないかと考えていると、
谷から僕たちのいる展望台に登ってくるスノーボーダー姿が。
丸山沢には新しいシュプールが見えていたので、おそらくその人たち。

挨拶して情報を教えてもらうと、現在の雪渓の状態は非常に悪いとのこと。
今回の大地震とその余震のためと思われる大小の亀裂がいくつも入り、
上から滑るのも怖く、僕たちのように下から登るのも難しいのではないか、という話。
なんでも3m近い亀裂が入っていたらしいのです。

ロバの耳ではなく、丸山沢からなら、なんとか行けるような気はしたのですが、
今回はメンバーのなかに雪山初心者が含まれており、
それに加え、突然大きな余震が起きて、雪崩れる心配がありました。
蔵王に限らず、この春の東北の山は、例年とは違う感覚で付き合わねばなりません。

本当は、思い出の「左ェ門小屋」の前にテントを張りたかったのですが、
無駄に谷まで下りても仕方がないと、この日は手ごろな場所にキャンプをすることに。 Img_1488a
こいつは、今回いっしょに歩いたライター仲間の森山伸也のテント。
彼とは昨年の連休もともに南アルプスに歩きに行きました。
今回の蔵王の話も、すでに彼のブログで少し触れられているようです。
ちなみに、他のメンバーもライターばかりで、昨年から同業者になった
大森千歳、泥谷範幸という面々なのでした。

今回の食事は、珍しく共同。夜は毎日、鍋。
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写真じゃ見えないけど、バーナーはSOTOの最新作「ムカストーブ」。
日本では未発売(6月上旬発売予定)ですが、
こんな感じで、雪上/低温/強風下でのパフォーマンスを試してみました。
このムカストーブの使用感に関しては、別途このブログで書くつもりです。

さて、翌日。
谷から尾根、雪渓を使って、山頂を目指すというプランを諦めた僕たちは、
バスを使って刈田岳山頂に向かうことにしました。
で、悔しいけれど、そこから改めて縦走を始めるというわけ。

「賽の磧」にある「蔵王寺」には、こんな碑があります。
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「二中」というのは、僕が通っていた仙台第二高校のこと。
「中」というのは、要するに旧制中学、現代の高校のことですね。
大正7年10月、7名の高校生と、2名の引率の先生の計9名が
吹雪の中で遭難死したときの供養塔で、
高校時代、山岳部員は蔵王に入る前に、必ずここにお参りしていました。

この「賽の磧」にはバス停がなく、通りかかった定期バスに
手を上げて止まってもらうという原始的なシステム。
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カーブに近くて、バスに見落とされる恐れがありそうだったので、
僕たちは等間隔に並んで、バスの到着を待っておりました。
左から森山(ヤーマン)、泥谷(ヒジー)、大森(ちーちゃん)。

ともあれ、そんなこんなでバスに乗って、刈田岳山頂のレストハウスへ。
震災のためにトイレが使えない状態でしたが、名物の玉コンニャクは健在でした。
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ひさびさの刈田岳山頂。
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でもまあ、ここまではクルマで来られる場所であり、
1758mの山ではあるけれども、やはり観光地でしかありません。

蔵王の象徴である「御釜」の前に立つちーちゃん。
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やっぱりこれでは、「山」というより「観光」という感じ。

それから刈田岳から熊野岳へ。いきなり人が少なくなり、やっと登山の雰囲気に。
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新調したばかりのマックパックのバックパックを背負ったヤーマン。
彼はカスケード75(ブラック)というモデルで、僕は同65(ブルー)。
見た目が兄弟みたいになり、ちと微妙。

熊野岳の山頂付近にも、「仙臺二中遭難者供養碑」が。
僕の遠い先輩たちに、手を合わせます。

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それにしても、遭難という悲劇に終わったとはいえ、
大正7年に(おそらく)学校行事として、東北の学生と先生がいっしょに
この山を目指したということは、すごいこと。
新田次郎の実話をもとにした小説『聖職の碑』も、
大正時代に先生と生徒(旧制小学校)が山で遭難する話ですが、
これは学童登山が盛んだった長野県の話なのだから。

北に見えるのは、これから目指す北蔵王の山々。
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思ったよりも雪が少なそうに見えます。

いや、雪は少ないというか、非常に中途半端な量。
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夏道をなんとなくたどっていくものの、ヤブに引っかかるばかり。
雪山慣れしていないヒジーは、木の枝に引っかかってはバランスを崩し、
さらに何度も雪の深みにはまり、次第に疲れ果てていくのでした。

(続く)

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