« 『PEAKS 6月号』発売中 | トップページ | 『PEAKS』の読者参加型・取材山行の募集について »

2011年5月16日 (月)

宮城の被災地・石巻/女川/東松島/山元、そして仙台

5月の連休はじめに「蔵王連峰~雁戸山~笹谷峠」と歩いた後、
連休の後半から僕たちは、全員、宮城県の被災地に入りました。
以下の写真は、そのなかのいくつかの場所です。

まずは、全国からたくさんのボランティアが入っていた石巻。
Img_1639a
門脇小学校の付近は、かなり片づけが進められていました。
4月に行ってきたときの写真と比べると、少しは重い気持ちが薄らぎます。
今も児童が通えるような状態ではありませんが、学校は地域の象徴ですし、
見た目がいくらかでもマシになるだけでも、子どもの心にはよいはず。
自衛隊が中心となってガレキを撤去したようですが、
大したものだと、頭が下がる思いです。

こちらも石巻で、以前のブログでは壊れた家がめちゃくちゃに密集していた場所。
じつは大地震から9日ぶりに、おばあさんと孫が奇跡的に救助された付近です。
Img_1637a
こちらも以前と比べると、見違えるような雰囲気に。
ほとんどの家は解体され、更地になっています。
見違えるという以上に、もはや完全に別の土地。
仕方がないこととはいえ、家が解体された住民は無念だったことでしょう。

ホーボージュンさんやトレランの石川弘樹さんたちと、4月に泥かきをした湊中学校。
Img_1654a
割れたガラスの代わりにビニールで覆われ、
入り口は明るい色使いの扉で閉じられるようになっていました。
あのときのドロドロの講堂が、今は清潔感を漂わせていて、うれしい限り。

内部を見ると、破壊されたクルマは撤去され、ヘドロも完全に取り除かれていました。
Img_1657a
僕たちが4月に泥をかいたのは、中央左に入り口が黒く見える、倉庫の部分。
上には原色の壁画が描かれていて、元気が出てきそうなスペースに。
テーブルとイス、鯉のぼりまで設置されていて、
たくさんの人の努力で、ここまで整備されたことがうかがえます。

僕よりも先に、2度目の石巻入りをしていたホーボージュンさんが、
この変わりようを見て、「庄太郎に見せたい!」と話していたらしいのですが、
たしかに感動的なほど、別世界になっていたのです。

連休初頭はボランティアが余るほどだった石巻は、
悲惨さはまだまだ残るもの、思いのほか早めに、少しずつ前進し始めていました。

しかし、この下は、石巻の少し北にある女川町。
Img_1649a
石巻なら、すでに片付けられているようなクルマやガレキは、
交通の邪魔にならない場所に寄せられているだけで、いまだ撤収されていません。

この女川、僕は県内でも好きな町のひとつでした。
だけど、こんな荒涼とした風景を見ると、言葉数が少なくなってしまいます。
Img_1651a
以前もこのブログで、美しかったころの女川の写真をアップしたことがありますが、
改めて画像を探してみたところ、下のような写真も見つかりました。
133a
もう全然、違う場所です。活気がありながらも、いかにも平和な港だったのに。
なんとか、女川も復興してもらいたいと祈らずにはいられません。

さて、ここから下は東松島町。
市町村合併で「東松島町」という名前になったとはいえ、
宮城県で育った人なら、「矢本」といったほうがわかりやすいかと思います。
甚大な被災で有名になってしまった石巻と、
日本三景のひとつとして昔から著名であった松島とのあいだにあるためか、
あまりテレビや新聞に取り上げられることが少ないのですが、
ここもまた津波の被害がすさまじかった場所なのです。
P5070056a
こちらはMさんというおばあさんのお宅。これは、一日の作業終了のときの写真です。
僕たちは、家と小屋の前にたまっていたヘドロをスコップで剥がしとり、
土嚢袋に入れて、敷地外に運び出すお手伝いを行いました。
ボランティアセンターで定められた作業時間を使い切っても、
男5人で泥かきし終わったスペースは、わずか畳8~9枚程度。
P5070050a
たった畳8~9枚のスペースでも、土嚢袋にすると、これだけの量になります。

現地で編成された僕たちのチームには、女性も2名含まれていましたが、
一人暮らしのMさんは、女性陣のお手伝いを非常によろこんでいました。
力仕事は男が得意とはいえ、泥で汚れた食器や家財道具を
水できれいに洗って整理するには、やはり女性に託するほうが安心できるんですね。

さらにこの下は、宮城県の最南端である山元町。
ガレキ撤去の作業中は写真など撮っている余裕がなく、
これまた、すべてが終了して道具を撤収しているときのカットです。
Img_1636a
この日は東京から遅れてやってきた『PEAKS』編集部のマスケンも加わり、
作業用のツナギを着て、黙々と頑張っておりました。

このHさんもひとり暮らしのおばあさん。
海岸から2キロほど離れたHさんのお宅は、敷地の壁が頑丈だったとのことで、
そのために津波で運ばれてきたガレキがせき止められ、
周囲の家以上に膨大なガレキが山となっていました。
地域のほとんどの家は、もう住むことを放棄したようでしたが、
Hさんはなんとか再び、ここで生活するつもりだとおっしゃっていました。
ただ、本当の気持ちを言えば、
「また津波がくるのではないかと、怖くて仕方がないんだけど」とも。

Hさんは、雰囲気といい、しゃべり方といい、
数年前になくなった、僕のばあちゃんに似ていました。

最後に仙台の僕の家の付近。
東京に戻る前に、少しだけ思い出の場所を自転車で走ってみました。
Img_1676a
上の写真は、自転車で15分ほどで行ける「与兵衛沼」。
沼というより、ため池で、昔は周囲の田んぼに水を供給していました。
僕は幼稚園児のときに、ここから流れ出る小川で特大のザリガニを捕まえて、
いまだ夢に出てきそうなほど、大喜びした記憶があります。
写真の左上あたりにある岸辺の白っぽい岩の近くは、
小学生~中学生のときには、フナ釣りのポイントとして何度も通っていたスポット。

この
与兵衛沼の岸の一部は地震で崩れてしまったようで、
水を少し抜いて、被害の詳細な調査を行っているようでした。
ひどい地割れなどが起こって、水が不自然に干上がってしまい、
沼のなかの魚たちが死なないとよいのですが‥‥

Img_1687a_2
最後に、実家に戻る前に、高台から西のほうを見ると、いつものように泉ヶ岳。
東北の太平洋側の海岸は激変してしまったけれど、
遠くから見る山は以前と変わらず、どっしりとした安定感があります。

だけど、仙台付近では、太白山の登山道が崩壊してしまいました。
1ヵ月程度で梅雨の時期に入りますが、
地震に加えて雨で地盤が緩み、土砂崩れが起きることが心配です。
他の山には大きな被害が出ないことを祈るしかありません。
この泉ヶ岳も大丈夫だといいなあ。

|

« 『PEAKS 6月号』発売中 | トップページ | 『PEAKS』の読者参加型・取材山行の募集について »

他(そのほか)」カテゴリの記事

コメント

庄太郎さん初めまして。仙台市内の山寄りに住んでいるものです。
私も、夏山開きを太白山で!と思っていましたが、既出の通り登れず…。蕃山に行きました。
先週末、山友達が泉ヶ岳に行ったところ、山頂付近は残雪ながら数人の先客がいたそうです。
話を聞いて、なんだかとてもうれしくなりました。
全国的には東北は遠くて山深いというイメージですが、庄太郎さんの目線で魅力的なところをたくさん伝えて下さいね!
楽しみにしています!

投稿: ようこ | 2011年5月18日 (水) 23時49分

ようこ様

仙台市内の山寄りって、どのへんでしょうか?
折立のあたりは地盤が弱くて被害がひどかったと聞くのですが、
大丈夫だったでしょうか?

僕は今年、東北の山に行く機会が例年よりもありそうなので、
改めて面白い山をリサーチしています。
テント泊がやりやすい縦走コースがあると、
いいのだけど、そこが難しいところです。

投稿: 庄太郎 | 2011年5月21日 (土) 11時05分

庄太郎さん、お返事ありがとうございました。

私の住んでいる地域は吉成です。
うちは家財道具が壊れたくらいで、家自体は大丈夫でした。
けれど、今回の震災は自分が住んでいる地域がたまたま被害に会わずに済んだだけで、
紙一重で沿岸ではなくても場所によっては判らない、という印象を与えました。
折立はいわゆる山津波が置き、家が倒壊しています。
折立はすぐ近くなので、少しの場所の違いでこうも違うものかと驚きました。

近々、大東岳(秋保の二口ビジターセンターからのアクセス)に行こうかと思っていたのですが、
今日奥新川に行った母親の情報では、崩落があり秋保ビジターセンターから先は立ち入り禁止だとのこと。
東北の山に活気が戻るように祈る日々です。

東北の山はテント泊許可の地域が極端に少ないと聞いたことがあります。
飯豊・朝日くらいでしょうか?
考えると本当に難しいものですね。

私もPEAKSの企画に応募しようかと思ってます。
いつか庄太郎さんとも山でお会いできる日が来るといいですね!
また書き込みします。
元気でがんばってください!!

投稿: ようこ | 2011年5月22日 (日) 21時46分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 『PEAKS 6月号』発売中 | トップページ | 『PEAKS』の読者参加型・取材山行の募集について »